機銃掃射を受けたサイロ
2010年 06月 26日
先日、苫小牧図書館の「苫小牧にも空襲があった」と題された特設コーナーでこのサイロに関する記事を見つけたのです。
数年前の北海道新聞の記事の切り抜きなのですが、苫小牧支局に移ってきた記者の方がこのサイロに興味を持ち、いろいろ調べた結果、太平洋戦争末期の昭和20年7月、米戦艦の艦載機に依る機銃掃射を受けたサイロだということが判ったそうです。
サイロのある場所は市内錦岡の国道36号線とJR室蘭本線の線路に挟まれた空き地で、当時この場所で乳牛を飼育していた方が建てたものではないか、との事でした。
現在はある法人の所有になっているそうですが、誰がいつ立てた物なのかははっきりとは判らないのだそうです。
そうとう老朽化した屋根の鉄板に機銃弾の貫通した穴が見えます。
すっかり忘れ去られているこのサイロですが、この銃撃で漁に出ていた漁師の方や兵士ら6名が亡くなったという、苫小牧空襲の記憶なのだそうです。