仙台藩白老元陣屋の桜
2009年 05月 16日
幕末、蝦夷地においてはロシアの南下政策警戒のため、幕府は松前藩のほか津軽・南部・秋田・仙台・庄内・会津の東北諸藩に命じて蝦夷地を分割警備させることとし、各藩では24ヵ所の陣屋を設きました。
その内、仙台藩の守備範囲は白老から襟裳岬を経て国後、択捉島までの東蝦夷地ということで、白老に元陣屋、広尾・厚岸・根室・国後島泊・択捉島振別にそれぞれ出張陣屋を置いて常時120名程の藩士たちが駐屯していましたが、現在のようにしっかりとした防寒設備・装備等もなく、数多くの藩士が亡くなったそうです。
ロシアのプーチン首相が来日中に北海道の高橋はるみ知事が北方領土返還の直接交渉(?)をした所、厳しい目で睨まれた・・・、そうですが、少なくとも150年以上も前から北方領土には日本人が住んでいたことを強調したいものです。
それはともかく、当時、陣屋には多くの松が仙台から移植され、そのうちの何本かは
20メートル以上に成長し、残っていますが、今は多数の桜が満開でした。
約2万坪の敷地内には6基の門、本陣・勘定所・殻蔵・稽古場・長屋などがあり、それらの礎石が復元されています。
堀と土塁の残る跡地には人影もなく、ウグイスの鳴き交わす声に聴き惚れながら、
のんびりと過ごしてきました。